新選組の街として知られる日野に21日(日)に行ってきました。それは、今回限りで公開される新選組副長土方歳三の遺髪を拝見するためです。凄い数の人が来ていて整理券が配られていました。

土方歳三の姉ノブは、日野の名主であった佐藤彦五郎に嫁ぎました。天然理心流の免許を4年あまりで皆伝(通常10年程度かかる)した彦五郎は、日野宿本陣に道場を開きました。

そこに、ノブの弟・土方歳三をはじめとした近藤勇・沖田総司・井上源三郎や山南啓助など新選組の隊士となる人々が集まり剣術を磨きました。

その彦五郎の子孫である佐藤福子さんが、日野で「佐藤彦五郎新選組資料館」の館長として新選組の貴重な遺品・資料を公開されています。

今回、歳三の遺髪が公開されるに至った経緯がまた凄いのです!

実は、つい最近まで、歳三の遺髪が残されていることは知られていませんでした。公開に至った経緯は以下のとおりです。

3月27日に放送された「奇跡体験!アンビリバボー」の番組内で、イギリスから来日した超次元能力者のジャッキー・デニソンさんが歳三の愛刀「越前康継」から「物」や「場所」に残るとされている思考や感情などの「残留思念」を感じ取ったところ「髪の毛が残っている」とのことを話すと、 佐藤彦五郎新選組資料館館長の佐藤福子さんがこれまで公表していなかった歳三の遺髪の現存を認めて、今回の初公開に至ったそうです。

資料館でお伺いしたお話しでは、子孫のかたも最初遺髪の存在は知らず、ある時、仏壇の引き出しから発見されたものの公表はしなかったとおっしゃっていました。

箱館戦争で新政府軍と最後の抗戦中であった歳三が、共にしていた年若い市村鉄之助を日野(佐藤彦五郎のもと)に向かわせます。名刺サイズの歳三の写真と「この者の身の上をお頼み申します」と、歳三が書き添えた紙切れが添えられていたといいます。

実は、その時、鉄之助は、歳三の髪の毛も持ち帰っていたのです。

歳三としては、将来もあり年若い鉄之助を死なせるわけにはいかないため、理由を付けて日野に向かわせるといった配慮もあったのでしょう。

今回、「佐藤彦五郎新選組資料館」にて、歳三の遺髪を拝見しました。

歳三と実際に面会したことのある人物の証言として、「漆のような髪を長ごう振り乱して、ざっと言えば一個の美男子と申すべき相貌に覚えました」とありますが、34歳(享年だと35歳)という若さで最期をむかえた歳三の遺髪は、艶があり、白髪など混じっていない黒髪でした(ごわごわした真っ黒い髪の毛ではなくしなやかさも感じる)。

「鬼の副長」とも言われ、新選組の中では立場上厳しい一面も見せ、生涯独身を貫いた歳三は、いつ死ぬかもしれない自分の人生を達観しており覚悟を持ってのことだったのかもしれません。

ちなみに、局長の近藤勇には、妻(つね)と妾(深雪太夫・御幸太夫等)がいました。

しかし、歴史好き(特に新選組フアン)のかたならご存じかもしれませんが、モテモテだった歳三には面白いエピソードがあります。

歳三は、当時としては背が高く(実際は中ぐらいの背丈だったとの証言もあり)イケメンだったことからモテていましたが、新選組になってから更にモテモテになったようです。

大都会の京都でモテたのがよほど嬉しかったのか、芸者たちからもらった恋文(ラブレター)を、わざわざ「夫人恋文」という冊子にまとめ、親戚(小島鹿之助宛)に送り付けて自慢しています。

しかも2回。

1回目の手紙は、歳三を好きな京都や大阪の芸者だちの名前がずらりと並びそれはほんの一部で、自分のことを好きな女性は書ききれないほどいると書き記されていたそうです。

挙句の果てに「女性たちのせいで国に尽くす気持ちを忘れてしまいそうだ・・・」といった俳句が添えられていました(鹿之助談)。

2回目の手紙に先ほどお話ししました「夫人恋文」が添えられていたのです。

物証まで持ち出してきた歳三はさすがです!!

ただし、この「夫人恋文」は現存しておらず、本当にラブレターだったのか謎のようです。もしかしたら、芸者からの営業レターで、モテると勘違いしていた可能性もあります・・・・・。

「一事を成して名を挙げるまではひとりでいたい」との信念のもと、生涯独身を貫き「鬼の副長」と恐れられていた歳三ですが、裏に潜むおちゃめな一面が人間味を感じ、可愛らしく魅力的に映ります。

「仕事が落ちつくまでは」「昇進するまでは」「自分自身のステータスをあげるまでは」等の理由で結婚を先延ばしする男性は、今の世の中にも存在しますが、歳三も同じようなことを言っていたのは驚きです。

歳三は、農家の末っ子として生まれ奉公に出されました。奉公先は、江戸の呉服店。今でいう和服のアパレルショップ。

同じく奉公人として働いていた年上女性と恋仲になりましたが、周囲の人間に引き裂かれ、その後呉服店を辞めて実家に戻っています。そして薬の行商を始めますが、そのころ、三味線屋のひとり娘と縁談の話しがあったものの婚約解消を伝えたそうです。

また、戦いの最中に滞在した綾瀬(足立区)で釣りをしていたそうですが、歳三の釣り姿に地元の女性たちは心を奪われたそうです。

モテモテすぎですね!

34年という短い人生を駆け巡った歳三。箱館戦争で、敵兵に胸を打たれ(背後より仲間から打たれた説もある)最期をむかえた歳三はいったい何を考えていたのでしょうか。

歴史のロマンを感じる一日となりました。

※今回限りの遺髪公開は、残り28日(日)、29日(祝)を残すところとなりました。興味のあるかたは行かれてみてはいかがでしょうか。

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