新人スタッフFです。昨日から急に暖かくなりましたね。京橋の警察博物館そばにある桜の木に花が咲いていて多くの人々が写真を撮っていました。その桜は上野恩賜公園とかに咲く桜とは違うのでしょうか。ソメイヨシノ?かな?靖国神社の桜で開花宣言がでてないけど早く咲いちゃったのかな??人がたくさんいたので、説明の看板は見ないで通り過ぎてしまいました。今度、よく見てみます。さて、今回の題目は「50歳の乙女」です。

私の友人の知り合いで「50歳の乙女」がいる。

大手の結婚相談所に入会し真剣に婚活をしているはずだが・・・・。

「乙女」なのだ。ぶわふわしている。

前に憧れていた男性がいて、その男性に恋い焦がれる気持ちを今でも持っている。

言葉を選ばず正直に、彼女の一般的な意味でのスペックを言うならば以下の通りだ。

ルックス⇒普通、年齢⇒50歳、婚歴⇒なし、職業⇒固い仕事、性格⇒穏やか・のんびり屋・優柔不断(決められない)

特段、自分磨きはしていないようだ。

こんな具合だが、入会している大手結婚相談所でも「仮交際」には行くものの、決断できず、毎回「気持ちが分からない」と延ばしに延ばしているのが彼女の特徴のようだ。

その背景には、以前に憧れていた男性がいて、「その男性を想うと、今目の前にいる男性を好きなのか分からない」というのがあるらしい。

しかし、よくよく聞くとその男性とは交際していたわけでもなく、ただただ憧れていただけなのだ。

憧れの男性グループ歌手の追っかけをして、その歌手以上の人でないと好きになれない????みたいなもんだ。

結婚相談所の担当者がいくら背中を押しても、前に進むことはなく、憧れの人の重しがずっしりとのしかかる。

恋する中学生、高校生の乙女のようだ。

いや、今どきの中学生、高校生は、気持ちが大人な子も多い。

この彼女、相手の良い所を見ることができるのだが、反面、憧れの人の残像という、おかしなフィルターを通して男性を見てしまうのだ。

ざっくりまとめて言うと、原因は二つ。

一つ目は、自己分析・自己理解ができていないことにある。

自分自身を客観的に「鳥の目」「虫の目」「魚の目」で見れていない。なので、気づきが乏しい。

気づきがないから、過去の残存で恋愛が止まっている。

二つ目は、自分磨きしていないことにある。

なので、今の自分のスペック以上の男性からは好意を持たれない。

その恋い焦がれる男性を想っていたことを、アホらしく思うほど素敵な男性が現れてアプローチを受けるということはない。

「スペック」という言葉を誤解して欲しくないが、これは結婚相談所のお相手検索システムやマッチングアプリのプロフィール欄に書くような言語化できるもの(あるいは、言葉は適切ではないかもしれないが言語化で操作できるもの)ではなく、自分磨きによる自己成長の結果、発現する魅力や人間性を言う。

50歳の乙女は、憧れ人の残存に永遠と想いを馳せるのであろうか。

想いを馳せる自分がドラマの主人公にでもなったかのごとく、酔って変なゾーンに入っていなければよいのだが。

時間は待ってはくれない。

幸せのかたちは人それぞれで、自分が思う幸せを追い求めればいい。

けれども、婚活しているということは、家庭を持ち生涯連れ添うパートナーと幸せに暮らしたいからではないのか。

ふあふあするのではなく、「覚悟」を持って婚活に臨めば幸せが訪れるだろうに。

もったいない。

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