新人スタッフFです。開花宣言後、雨の日が多く、桜が散ってしまわないか心配になる今日この頃です。「貴様と俺とは同期の桜 同じ兵学校の庭に咲く~咲いた花なら散るのは覚悟 みごと散りましょ 国のため」という軍歌がありましたね。桜は華やかに咲きほこり、そして桜吹雪としてすぐに散ってしまう。その姿は、はかなくも美しい。桜の花を見ながら毎年想うことを「命は預かりもの」との題目でお話しします。
今どんなに美しく綺麗に咲いている桜でもいつかは必ず散る。そのことを心得ておくことが大切だ。
人のいのちも同様。
仏教では「人生は無常である」と説いている。
あの有名な平家物語にも、「祇園精舎の鐘の音、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。」とある。
今日は健康で元気にしていても、いつまでも続くものではなく、明日はどうなるか分からないのが、私たちの命。
にもかかわらず、私たちは、明日も明後日も、今日と同じように元気で生活できるものと想定して毎日を過ごし、今日できることを簡単に先延ばししたりする。
私が、桜を見ながら想ったのは、「命は預かりもの」ということだ。
以前、私の友人で自ら命を絶った人がいる。
まさか、そのような結果になるとは夢にも思えないほど、リーダーシップがあり、人望のある誇り高き人だった。
私は、あの日から色々な想いを持って桜を眺めている。
「自分の命は自分のもの」とか、「自分の命なのだから自分の勝手にしてよい」というのは明らかな誤りだ。
自分の命は、自分がつくったものでもなければ、自分の私的な所有物でもない。
たまたま先祖代々から授かった恵まれた「命」であり、預かりものなのだ。
自分の命は網の目のようにいろいろな命と繋がっている。
最近、なぜか「寂しさ」や「無常観」を感じることがあり、ふと、父母が残したアルバムを開いて写真を眺める機会があった。
記憶の彼方にいる懐かしい人々(父母・祖父母・叔父叔母・伯父叔母・従妹・従弟等々)が、一同に揃い写っている一枚の古い写真、そして私が生まれたばかりの頃大切そうに抱きしめてくれている父と母の姿が写った写真に私は目が留まった。
みんな笑顔だ。
今やもう会えない人々もいる。
幼き頃の懐かしい思い出が走馬灯のように頭の中を過る。
改めて、子どもの頃から自分を取りまく人々を想うと、自分を受け入れてくれている人々の温かい心が感じられ、自らを肯定的に見られるようになる。
一度きりの人生なのだから、この預かりものである命を大切にし、悔いのない人生を送りたいものだ。
婚活・結婚・家族
ここに命というものを考える大きなきっかけやヒントがありそうな気がする。


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