日本各地には、人と犬との良い関係を示すエピソードが多くありますね。渋谷駅前の待ち合わせスポットとしても知られている「忠犬ハチ公」の物語は有名で、飼い主を思うハチの姿に涙してしまいます。生まれて初めて「忠犬ハチ公」の銅像を渋谷で見た時には、「なんで犬の銅像があるんだろ?」と思った記憶があります。あの場所でハチは、いつまでも飼い主を待っていたのでしょうか。場所はややズレてるかもしれない、、、、、いや全く違う場所かもしれませんが、あそこに立つと感慨深いものがあります。が、、、本日の話題は、有名なハチではありません。「忠犬タロー(石岡市)」です!
以前、確か志村けんさんの動物番組で「飼い主と犬との45年ぶりの再会」(確かこのようなタイトルだったかと)というのを放送していました。
また、「石岡タロー」という映画や「あした会えるさー忠犬タローものがたり」という本もあります。
茨城県の石岡市に、忠犬タローがいました。どんな犬なんだろ???
昭和39年(1964年)、石岡駅で飼い主とはぐれてしまった一匹の犬は、迷い込んだ石岡市立東小学校で飼われるようになりました。
犬は「タロー」と名付けられ、子供たちからおおいに可愛がられました。
タローは、朝と夕方、必ず小学校から駅までおよそ2キロの距離を歩いたとのこと。
駅の待合室に着くと、じっと改札口を眺め、誰かを待ち、待ちくたびれるとまた小学校に戻っていく。
これが亡くなるまで十数年続く。
その様子を市民は親しみを込めて眺めていました。
タローは、1981年に校長先生や子供たちが見守る中息を引きとりました。
タローが毎日、石岡駅で誰を待っていたのか誰も知る余地はなかったのです。
ところが、2009年、新聞の記事がきっかけで、飼い主が名乗り出たのです。
行方市の女性。
5歳当時、幼稚園に通う際に、鹿島鉄道玉造駅で飼い犬のタローが一緒に電車に乗り込んでしまい、石岡駅付近ではぐれてしまったとのこと。
タローは石岡駅の待合室に座り、改札を通る客をじっと見て、この5歳の女の子をさがしていたのです。
5歳の女の子も当時タローを探し出せず心残りであったことでしょう。
今では、駅前にタローの銅像が建てられ、また歌や映画となってタローの姿を後世に伝えています。
私は以前、石岡出身のお友達から地元のお祭りにご招待してもらったことがありました。
石岡に行くのは生まれて初めてで、犬好きの私は、「忠犬タロー」の話しを以前から聞いていたため、銅像と対面するのが楽しみでした。
この街で、タローははぐれてしまった飼い主との再会を望み待ち続けたのかと・・・・。
切ない気持ちと何か心温まる気持ちが、ぐちゃぐちゃになり、、でも、石岡市立東小学校の子供たちに愛され、住民のみなさまに愛されたタローは幸せな犬生だったのではないかと心の整理がつきました。
たまにYouTubeとかで、飼い主が車から犬を放り投げ捨てていく映像や、長年育てた老犬を保健所に差し出している映像を見かけます。
ふざけんな==============、怒りがこみ上げてきて抑えられなくなる。
家族とも言える犬を。
人間がそんなことやって恥ずかしくないのか!!!泣けてきます。
忠犬タローや忠犬ハチのように純粋に人に思いをはせる気持ちを忘れてはいけないと自戒する。
「人は裏切るが、犬は裏切らない!」
よく聞く言葉だ(涙)。


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