新人スタッフFです。

朝の通勤時にせわしく職場に向かう人々の背中を見ると、色々な悩みや病気を抱えながら、健気に何事もないように生きているのかもしれないと思う時がある。

私も、今まで色々な人と死というお別れに直面してきた。

どんな気持ちで、どんな覚悟を持ち人生の終焉を迎えたのであろうか。

自分はどうそれに向き合うことができのだろうか、とも考える。

そんな時、この樹木希林さんの言葉が頭が過るのだ。

「これだけ長くがんと付き合っていると『いつかは死ぬ』じゃなくて『いつでも死ぬ』という感覚。自分の身体は自分のものだと考えていたんですよ。とんでもない。これは借りものなんだっていうふうに思えるようになりました。でも借りていたものをお返しするんだと考えていると凄く楽ですよね。ものを無駄にせず、最後まで使い切ることを信条としていたが、自分の体についても『十分生きて、自分を使い切った』と思えることが人間冥利に尽きるってこと。一瞬でも自分はもう命がないんだと思えた。そのことを大事にして、そして生きましょうよ。あした死ぬかもという覚悟は常にあります」(樹木希林「病と共に生きる」より)

私が、大学を卒業しとある会社に入社、新入社員であったころの話しだ。

Nさんとう係長の上司がいた。

普段、穏やかで、仕事も丁寧に教えてくれる。

悩み事の相談にもしっかり時間をとって対応してくれる。

尊敬できる人生の先輩でもあり上司であった。

彼は、ある時、癌に蝕まれることになる。

度々、お見舞いにも行った。

詳しくは分からないが、当時、癌患者は入院するものの、最期を迎える前の、一見元気に見える時期に一時的に退院となるようだ。

彼は、家で寝ているのではなく、職場に出勤していた。

見た感じ、とうてい癌を患っているようには見えない。

ある日、彼は職場の忘年会にも参加しお酒を飲んでいた。

隣の席で、私は彼に聞いた。

「なんで、ご家族と過ごせる大切な時間なのに、体調も良くないのに、忘年会にご参加されているのでしょうか。心配です。」と。

すると彼はこういうのです。

「家庭のことは、妻・子供にしっかり伝え、整理しなくてはいけなことは全て完了している。家族が何も困る事はないようにしてある。長年勤めてきた会社で、仕事も職場の仲間も自分にとってみんな大切。なにごともないように、みんなと楽しく話をして、酒を酌み交わし、宝のような時間を過ごす。やりたいことをやって死を迎える。自分にとってそれが本望なんだよ。」と。

凄い、自分はこんな立派な人物になれるのだろうか、こんな強い覚悟を持って最期の時を迎えられる人になれるのだろうか、自問自答しながら、帰りの夜道を歩いていたことを今でも鮮明に覚えている。

それから、まもなく彼は、再び入院した。

訃報が届く。

葬式では、すこし尖ったS君でさえも号泣していた。もちろん私も涙が止まらなかった。

最期まで、家族を守り、仕事に誇りを持ち、仲間を大切にした男の生きざまを見た。

今でも、彼は私の心の中に生き続けている。そして、そんな人を目指したい。

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